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2019 御三家の哲学③

2019.07.01(Mon)

●成城学園校:福井    ●カテゴリー:


桜蔭中・武蔵中の出題から。 


(沖永良部島に墜落した特攻機に乗っていた)伍長「ぼくだけ生き残ってしまった...死んで神になるはずだったのに」 少女「ずっとここにいれば?戦争が終わるまで隠れていれば?」 伍長「いきててよかった」 ...少女「(伍長には、戦死した父や兄にしたように)お国のためにがんばってきてねって...もう手は振らない」      (中脇初枝『神に守られた島』による)


戦時中、沖永良部に墜落した特攻兵の伍長は、仲間と一緒に軍人としての使命を果たせず、"神"になれなかったことを深く悔いています。そんなとき、天真爛漫な地元の少女から、「もうヤマトゥに戻らないで、ずっとここにいれば? 戦争が終わるまで隠れていれば?」と、当時としては異例の率直な言葉をかけられ、衝撃を受けたようです。彼は、涙しながら大いに笑い、「生きててよかった」とつぶやきます。そこに、もはや軍神の面影はありませんでした。また、少女も、「お国のためにがんばってきてね」と、父や兄に手をふった結果、それがかえって「呪い」になり、二人とも帰ってこなかったのではないかと思い至った末、「もう手は振らない」と言い切ります。


社会全体が戦争遂行を要求していた時代でも、したたかな民衆は、水面下でこのような人間らしいやりとりを交わしていたのでしょうか。発見・摘発されれば大変なことになったでしょうから、仲間内や家族間でも、発言には相当な覚悟が必要だったにちがいありません。当時を経験していない私たちは、想像の域を出ませんね。


しかし、物語の中で、伍長が本心を吐露するきっかけになったのは、命を賭した勇気あるヒーローの殉難行動などではなく、少女の何気ない一言です。皆、言いたいけれども言えない本心を、あっさりと口にしてみせる。その強さ、明るさ、正しさ、屈託のなさ、正直...いつの時代も、社会を変える発火点になったのは、意外とこんなところにあるのかもしれません。


もちろん、多様な人間模様を一律には括れないでしょうけれども、何か問題がこじれ、複雑な論理を駆使したり、議論の応酬を繰り返したりしても前に進めないときこそ、心の本性に即した単純素朴な「一言」が、導き手になってくれることもあるかもしれません。今日、言葉の発信方法には、事欠きませんから、その気になれば、声をあげることはできそうです。時代の底流を形成する「一言」の力に気づかせてくれた、本年度の桜蔭中・武蔵中の出題でした。



2019 御三家の哲学②

2019.04.25(Thu)

●成城学園校:福井    ●カテゴリー:

麻布中の出題から。 

当初、父の仕事都合だという転居や引っ越し先の暮らしに違和感があった少女。でも、娘の幼い頃を思い出して帰郷を願う「おじさん」の愛情や、出稼ぎに出た父の帰りを待ちわびる友の思いやりや、的確なアドバイスをくれる姉の優しさにふれるうちに...家族や今の生活の大切さに少しずつ気づけたかな?               (安東みきえ『天のシーソー』による)

 

 私たちは、とりまく環境が大きく変わったとき、少なからぬ葛藤を抱えることがありますね。たとえば、みなさんは、学年が上がってクラス替えが行われ、それまで仲の良かった友達と別れなくてはいけなくなったことはありませんか?それが、新しい仲間を作るきっかけになることはわかっていても、それまで自分に居心地の良さを与え続けてくれた環境の喪失は、他の何者をもっても補うことはできないというべきでしょう。その気持ち、よくわかります。

しかし、いつまでもうつむいているわけにもいきません。日々の学校生活が新しいクラスで営まれる以上、せつない現実となんとか折り合いをつけて前に進まない限り、殻に閉じこもって塞ぎ込んだままです。そんなつまらない自分でいれば、誰も得しませんよね。

 

 本年の麻布中の出題文においては、環境が激変した新生活に慣れる第一歩を踏み出すきっかけとしての、いつでもどこでも、どんな自分でも受けいれてくれるであろう「家族」との絆にスポットを当てています。"娘の幼い頃を思い出して帰郷を願う「おじさん」の愛情"も、"出稼ぎに出た父の帰りを待ちわびる友の思いやり"も、"的確なアドバイスをくれる姉の優しさ"も、一貫しているのは、「無条件性」といえるかもしれません。相手がある一定の条件を満たさなければ愛情を注げないのであれば、それは部分的かつ偏頗な感情であって、何らかの障害にぶつかれば、もろくも崩れ去る危うさを伴うのではないでしょうか。

無償の愛をもって見守ってくれる存在は、必ずしも家族に限定されるものではないでしょう。これから、自分が、どんな学校に進学し、いかなる職業に就いても、また、万人が見捨てんばかりの苦境に立つことになったとしても、最後の砦ともいうべき存在として背中を押してくれるかけがえのない知己を得るには、やはり、自分から他者に対してそのような接し方を心がけるしかないのかもしれませんね。

 「絆」の力に改めて気づかせてくれた、麻布中の出題でした。

2019 御三家の哲学①

2019.02.07(Thu)

●自由が丘校・成城学園校:福井    ●カテゴリー:

 

開成中の出題から。

 

訳あり、母とともに居候先のおじ・おば宅に転居した少女。冷遇、母の職探しの行き詰まり...もう、こんな生活は嫌。家出して、憧れの海に行こう。そこには、夢と冒険がある!でも、海に着くと、すぐに帰宅を促すかのような日暮れが。現実逃避の果ての希望は、「役立たずのがらくたのおもちゃ」ともいうべき?向き合う勇気をくれた海よ、ありがとう。

                                   (萩原浩『空は今日もスカイ』)

 

 小学三年生の茜(あかね)は、母の失業をきっかけに、おじ・おば夫婦の住む家にやってきました。しかし、母の仕事は、なかなかみつかりません。おばは、最初のうちこそ母子を歓待していたものの、十日もたつと、家計を圧迫する厄介者のように扱います。以前の学校の友達との別れを思うと、涙があふれてくるばかりです。茜にとって、今、住んでいるところは、閑散とした土臭い田舎村そのものであって、とても好きにはなれません。

そんな茜が、冒険を求めて向かった先は、家族で楽しく過ごした思い出のある海でした。海に到着し、しばらく遊んでいると、ほどなく空が暗くなり始めます。子供だけの宿泊などできないことはわかっていますから、日暮れとともに、家に帰らねばならない現実に否応なく直面します。そのとき、家出という夢は、全く無力なものであったことに気づかざるをえませんでした。この体験は、茜が、今の境遇と向き合うきっかけになっていったのかもしれません。

 

私たちは、日々、現実のなかに暮らしています。学生、社会人、主婦...どんな立場の人でも、何の課題も悩みもなく、夢心地に、ただ、自分の好きなことだけに熱をあげていればいいような人は、なかなかいないと思われます(仮に、一見、そのように見受けられる人でも、実は、人知れず苦闘を重ねてきた、または重ねているケースがほとんどでしょう)。皆、何かにぶつかりながら、試行錯誤と工夫を繰り返して、道なき峰を登攀しようともがいているにちがいありません。

 だからこそ、時に、現実逃避の夢を見て、疲れを癒やすことがあっていいかもしれませんね。むしろ、そこで養った英気を、今度は、繁多な実際生活上の活動に還元していくことこそが、価値ある生き方と言えるのではないでしょうか?

 

音楽、読書、映画、旅行...そこで心に蓄えた栄養をもって実生活に向かい、疲れたら、また、夢の世界で充電する往復過程。「現実か、理想か」という二律背反的な議論を止揚する道に気づかせてくれた、本年の開成中の出題でした。

2018 御三家の哲学③

2018.11.19(Mon)

●自由が丘校・成城学園校:福井    ●カテゴリー:

  ~武蔵中の出題から~

人間は、今や、大半の仕事で、ロボットよりも能力的に劣った存在だ。それで、構わない。しかし、多くの人は、「人間こそが最高の存在である」という特権意識を脱していない。そこを突き崩してこそ、「人間とは何か」について本質的な考察を進められよう。(石黒浩)

 

あらゆる「技能」において、人間は、コンピューターより性能が低いと言わざるをえませんね。まず、この点を率直に自覚する必要があるとしています。その前提に立って、人間にしかなしえない、人間らしい特徴を見出し、希望を開いていこう、というメッセージを読み取ることができます。

 

~駒場東邦中の出題から~

家業廃業、父失踪、両親の身勝手そして離婚。高校を退学し、信頼する知人の実家にひっそりと身を寄せつつ、両親との決別と自立を覚悟。将来の職業や自分自身を深々とみつめる少年。寒き夜や/我身をわれが/不寐番(ねずのばん) 一茶 (ねじめ正一「むーさんの自転車」)

 

不遇な環境に置かれた青年の、魂の叫びが聞こえるようです。どんなに運命に見捨てられるかのように理不尽な日々であったとしても、自分から人生を投げたりはしない。否、むしろ、過酷な宿命は、己の心を鍛え、育んでくれさえするのだ!地を這うように、苦しみ、もがき、活路を見出すなかでこそ、真の自画像が紡ぎ出されていくに違いない!

 

~渋谷幕張中の出題から~

正体不明で予測不能な自身の「体」に注目。人間にとっては、体こそが全体であり、そこに関心を持つことが、リスクに満ちた自然を捉える入口にもなるはずだ。現代人よ、ごく一部の機能でしかない「意識」で、体や人生そのものをコントロールできると思うなかれ。(出典等無記名)

 

理性万能主義への警鐘ととらえるべきでしょうか。現代人は、ともすると、すべての事象を、科学的に分析・裁断し、その成果に基づいて計画された青写真に合わせて、世界を「進歩」させようと試みてきたといえるかもしれません。しかし、複雑微妙なる現実相は、そのような実験をあざ笑うかのように、ときに悠然と、また、傲然と屹立しており、それは、人間の頭脳の及ぶ範囲における小細工では、とうてい、手のつけられない代物であることが、皮肉にも科学の進歩と比例するように判明しつつあるようです。この、人間・自然・社会に対する総合的な理解の糸口として、私たちにとって最も身近な、自らの肉体の体感尺度に耳を傾けてみることを勧めています。

 

このように本年は、あらゆる次元から、人間存在の根源的な意味を問う文章が多く出題されました(興味のある方は、「2018御三家の哲学①②」も、合わせてご参照ください)

またいずれも、その「答え」を唐突に提唱するのではなく、解決のヒントになるであろう問題の周辺に必死に思索の糸をめぐらせたり、また、解答が見当たらないまでも、真摯かつ懸命に、直面する課題に向き合ったりしている傾向が顕著です。

受験生のみなさんも、まずは、これらの文にじっくりふれて、扱われている世界観を感じ取り、将来、自分なりの「答え」を見出すための素材をつかむ第一歩を踏み出してほしいと思います。

2018 御三家の哲学②

2018.09.20(Thu)

●自由が丘校・成城学園校:福井    ●カテゴリー:

~桜蔭中の出題から~

亡くなった「ばあば」が、ちいさい人になってやってきた。少女は、「とつぜん、いなくなって...」と、ばあばを問い詰める。ばあばは、「かえちゃん(少女)だって、とつぜん、やってきたよお」と応じる。少女「へえ、とつぜん?」。祖母は、きっと、少女の成長と幸せを願っているに違いない。 (大久保雨咲「五月の庭で」)


 幻想的な場面設定のもとで、物語が展開します。亡くなった祖母が、花の中に身を隠せるほど小さくなって、少女のもとに現れたというのです。彼女にとって、突然、訪れた祖母の死は、大きな悲しみをもたらしました。だから、今、何事もなかったかのように、ちいさい人になって花房に腰掛け、遊び戯れる祖母の姿を見て、愛する肉親の死に対する真摯な悲嘆をあざ笑われているように感じ、いらだちを募らせたのかもしれません。そして、少女は、なぜ突然いなくなったのかと、祖母を問い詰めます。しかし、それに対し、祖母は、"かえちゃんも前日までいなかったのに、次の日には突然いたよ"と、当然の道理でかわします。少女は、何か新しい気づきがあったようで、驚き、感嘆してしまいました。

 

 私たちにとって、出生と死去は、突発的かつ偶発的に起こりうる現象であるという一面は、誰も否定できませんね。誰しもが、「とつぜん」この世に出現し、そして、「とつぜん」の退出を余儀なくされます。では、その中で私たちは、波間に漂う木の葉のごとく、ただ、運命の偶然性に身を委ねてさまよう以外にないのでしょうか?

 

~女子学院中の出題から~

震災の悲惨、兄弟の生まれ順による差別・不遇...しかし、「人には運命を踏んで立つ力があるものだ」(幸田露伴)。自分にはどうしようもないめぐりあわせも、希望と向上心をもって開拓すれば、きっと立派に改善できる! (青木奈緒「幸田家のことば」)

 

「運命を踏んで立つ力」とは、なんと力強く、希望に満ちあふれた言葉でしょうか。私たちは、自分の力ではすぐに改善することの難しい、多くの理不尽ともいうべき先天的条件に囲まれているといわざるをえません。時には、その自身の宿命を呪い、うめき、一歩も前に進めないこともあります。しかし、人間であるならば、勇気をもって頭を上げ、運命のどん底を踏みしめて、自分の意志と力で立ち上がり、未来を変える自由は許されているに違いないし、その権利は、誰人も奪うことはできない...というべきではないでしょうか?

 

気まぐれな運命に挑む力があるとするなら、自身の胸中に...大事なことに気づかせてくれた、本年の桜蔭中・女子学院中の出題でした。

2018 御三家の哲学①

2018.07.02(Mon)

●エクタス事務局    ●カテゴリー:

 

当連載では、本年の最難関中学の国語科・入試問題で扱われた文章のテーマから、いくつかの考察を加えてまいります。個々の設問の細部よりは、本文にもられたであろう思想を掬い取り、今日的な意義を考える場とさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 

~開成中の出題から~

キャリアウーマンの妻、心の声。家事に勤しむ、絵描きの夫。ばりばり働き、家計を支える私。夫にも収入ができたら、私は一体、なんのために...。いや、人それぞれ、得意なもので頑張れば大丈夫(夫)。なんだか、居場所ができた気がする。(青山美智子「きまじめな卵焼き」)

 

主人公の女性は、好きなことに熱中し無収入の夫が、自身の苦手な家事・育児を買って出てくれたことで、仕事上のキャリアに自身の存在意義を見出すことができたようです。当然、そこには、家計を支えているという自負心が伴います。しかし、夫の側にも雑収入が発生していたことを知り、また、珍しく幼稚園に子どもを迎えに行ったとき、母仲間に入れず、言いしれぬ疎外感を感じます。さらに、料理作りもままならない自分にいらだち、私は一体、何のために生きているのかと落胆します。そんなとき、夫が、うまく励ましてくれて、彼女は、自分らしく頑張れば大丈夫だと希望を取り戻すことができました。

 

 彼女のつまずきの原因は、どこにあったのでしょうか?得意でないこと(=家事)に、無理に取り組もうとするとき、人は、心のバランスを失って、行き詰まってしまうのかもしれませんね。そこには、納得感が、決定的に欠けています。他方、得意分野(=仕事、経済的支援)に、極度にとらわれすぎると、それが少しでもおびやかされようかというとき、アイデンティティの危機に見舞われるといえるのかもしれません。

 

 今日の、高度に複雑化した社会に身を置きながら、真の「自分らしさ」を探求することは、決して容易ではないと思われます。しかし、消極的な表現ながら、"やりたくないことを無理にやらず"、また、"好きなことにもこだわりすぎず(いつでも手放すつもりで)"、ごく自然体の自身を他者にさらけ出す覚悟の果てに、何らかのヒントがみつかるのかもしれません。

 

 現代的な自己存在のあり方について、考えるきっかけを与えてくれた、開成中の出題でした。

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